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名古屋高等裁判所 昭和25年(う)1186号 判決

被告人

渡辺利夫

主文

本件各控訴は執れも之を棄却する。

當審に於て生じた訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人相沢登喜男の控訴の趣意第一点に付いて。

原判決が原判示事実を認定するに際して、所論検察官の被告人に対する各供述調書を援用して居ることは、洵に所論の通りであるが、所論摘録の原審各公判調書中の各記載部分を綜合して考えても、前記各供述調書の内容を為す自白が任意にされたものでない疑あるものとは到底首肯し難く、却つて所論摘録の原審第五回公判調書中被告人の供述記載によれば、前記各供述調書の内容を為す自白が、任意にされたものと認め得る。若し夫れ所論が前記各供述調書の内容を為す自白を捉え、之が任意にされたものであるとしても、其の縁由に錯誤が存するのであるから、任意にされたものでない疑のある自白に該当すると謂うのであれば、所謂任意にされた自白とは、外部的圧力に何等妨げられることなく、正常な自発的意思決定に基き為されたものであれば足り、其の自発的意思決定が為された縁由の如きは、之を問うを要しないものと解するが故に、縦令所論自白が所論のように縁由の錯誤に基くものであるとしても、斯の如き縁由の錯誤のみを以てしては、未だ右自白が其の正常な自発的意思決定に基き為されたものでないとは做し難く、延いては之が任意にされたことを疑うべき余地は毫も存しないのであるから、此の点に関する所論は当らない。而して前記検察官の各供述調書を閲すれば之が所論司法警察員の供述調書を全面的に援用して居るものでないことが明らかであるから、若し仮に所論司法警察員の供述調書が所論のように強要に基くものであるとしても、之が為に前記検察官の各供述調書の証拠能力に何等影響あることなく其の他に同各供述調書の証拠能力を妨ぐべき事由は、本件訴訟記録に徴しても一つとして之を発見し得ないが故に、原判決が同各供述調書を援用して原判示事実を認定したのを捉え、所論のような違法あるものとは謂い得ないから、論旨は其の孰れからするも其の理由がない。

(弁護人相沢登喜男の控訴趣意)

第一点 原審判決は採証に違法あり。

一、原審判決証拠欄に「一、被告人の検察官に対する供述調書(第一、二、三回を通して)中前科、動機、傷害の部位程度、死因を除いては判示同旨の供述記載」とありて被告人の検察官に対する第一、二、三回供述調書を証拠となし居るも第一回公判調書中被告人の陳述として「……警察署では認める様な陳述をしましたが、それは強要されたからであり、自分には覚へがないことです」旨の記載あり、旦第五回公判調書中検察官の被告人に対する訊問中「(問)検察官の取調べのとき何故否認しなかつたか。(答)検察庁と警察署とは連絡があるので、どうせ否認してもどうにもならん、裁判所で否認すればいいと思ひ否認しなかつたのです」旨(記録三三四丁)の供述に併せて検察官の右調書に対する証拠申請に対し弁護人は「検察官の被告人に対する第一、二、三回及び警察員に対する第一、二回、供述調書は証拠とすることに同意出来ず且つ、証拠調請求に異議がある旨」陳述し居る点、並びに検察官に対する第一回供述調書の内容中「警察で申上げた通り間違ひありません」旨の陳述を各綜合せば其の調書の任意性に付て一応取調べざるべからず。

二、右自白は刑訴第三百十九条の所謂「その他任意にされたものでない疑のある自白」に該当するものと思料する。然し本項の趣旨には被告人の錯誤即ち警察と検察庁とは一体のものであるから云々の認識自体が錯誤であり且つ、此の錯誤に基き意思表示されたのであるから、本条の文意を真正面に解釈し「任意にされたものか怎か」供述自体の任意性に制限すべきものに非ずして「その他任意にされたものでない」との趣旨は本件の如く供述そのものは任意性ある場合に於てもその任意に行はれた供述の原因に於て錯誤あり、結果に於て被告人の真実の意思と異なる場合も所謂「疑のある自白」と広義に解釈し、其の真実発見に努むべきものと解す。

三、特に右供述調書が警察員に対する供述(此れは強要に基く供述と陳述し居り)を全面的に援用し居るに於ては益々その任意性を疑はざるを得ない。因つて本件は採証に違法あるものと信ず。

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